残されたクウェート侵攻跡 – クウェートの「原爆ドーム」
こんにちは!
クウェートのよしくんです!
来月、2月26日はクウェート解放記念日です。
1991年のこの日に、クウェートはイラクによるクウェート侵攻から解放されました。
もうあと1ヶ月くらいですね!
そこで、今回はクウェート侵攻跡がそのまま保存されている建物「AL-Qurain House」について紹介します!
一つのストーリーから「クウェート侵攻」を知る
AL-Qurain Houseは若者で構成されたレジスタンスグループの拠点でした。
クウェート侵攻が進む中で、イラク軍がクウェートの若者を次々に拘束、投獄していったんですね。
そんな中で、拠点を支配の及んでいない場所、AL-Qurain Houseに移し、支援活動を続けていたのがこのレジスタンスグループ「Al Messilah Group」です。
しかしながら、クウェートがイラク軍から解放される直前の2月24日、イラク軍はこのAL-Qurain Houseまでたどり着いてしまいます。
そして、レジスタンスグループとイラク軍の交戦が勃発します。
レジスタンスグループのメンバーで、その場に居合わせた19人のうち12人が死亡、7人が生還しました。
一番上の写真を見たらわかると思いますが戦車での砲撃も受けています。
こちらが、AL-Qurain Houseで交戦した実際の戦車です。
2台の戦車が交戦に参加していますので現地には2台あります。
ある者は抵抗虚しく散り、ある者は隠れて生還し、ある者はアッラーの名を唱えて死を免れました。
そしてこの家には、どこで何があったのかしっかりと刻まれているのです。
上記の写真はレジスタンスグループのリーダー、Sayyed Hady Sayyed Mohammed Alawyです。
この場所で、彼は亡くなっています。
こちらは実際に交戦時に使われた銃です。
これは夜に訪れた際に撮った外壁の写真です。
実際に近くで見ると、色々感じるものがあります。
クウェート侵攻と現在のクウェート
「こういった惨劇が、現在もシリアで起きているんだ…」
このAL-Qurain Houseを訪れた時、クウェートの友人はそう呟いていました。
彼らはクウェート侵攻の経験から、何よりも戦争に心を痛めています。
クウェート侵攻を経て、クウェートは現在まで対立を避ける「中立外交」をとっています。
それも、クウェート侵攻の際に他国から支援を受けてきたからであり、これ以上このような惨劇を繰り返さないために外に敵を作らないようにするためです。
どんなにサウジアラビアが他の国と対立しても、どちらの勢力にもつかず中立・仲介の立場を貫くのはそのためです。
クウェート侵攻と日本
日本はクウェート侵攻に際して130億ドルの拠出と機雷除去をしています。
日本政府の対応に対して、日本国民の当時の反応は「金だけ」と批判の対象になっていたようですが、現地のクウェート人からは大変感謝されているようです。
また、クウェート留学中の授業ではよく「ヒロシマ」の話が出ます。
学校や絵本等で学習するようで、クウェート侵攻とも重ね合わせるものがあるようです。
タイトルでクウェートの「原爆ドーム」と書いたのはそのためです。
2011年の東日本大震災の際には、クウェートが400億円相当の支援をしてくれています。
これは国としての支援では世界最大です。
それだけ日本に寄せる思いがあるのだと思います。
そのおかげで、僕もクウェート政府から奨学金を頂きながら留学することができました。
もっと日本人はクウェート、中東、イスラームについて知るべきだと思っています。
僕自身としては、いつかクウェートに恩返しすることを誓って、これからも活動していきます。
クウェート留学相談も受けていますので、このブログの「お問い合わせ」、もしくは以下のリンクを参考にぜひ連絡ください!
VALUもやっています!
読んでくださりありがとうございました!